» 2016 » 11月のブログ記事

こんにちは。東京はいよいよ初雪が降り始め秋も終わりという感じがします。交通機関の混乱がさっそく見られましたが、今朝は大丈夫でしたでしょうか?私はいつも満員電車の中で電光モニターを見ることに集中し、なるべくすし詰め状態を辛いと考えないようにすると同時になんでもいいから情報収集したいと思っているのですが、今朝はサッポロラガービール赤星のコマーシャルが特に目についたので、今回はサッポロホールディングス株式会社を取り上げたいと思います。
サッポロビールの前身は日本麦酒醸造会社で、1887年前後に資本家の出資によって東京・銀座に設立されました。その後三井物産会社の協力によって資本金が増資され、ここではじめて醸造所を開業、ビールの製造を始めるに至り、1890年に記念すべき恵比寿ビールが誕生したのです。1893年には日本麦酒醸造は、日本麦酒株式会社に社名を変更。翌年には日清戦争が勃発しますが、戦争をきっかけとしてビール消費量が急増したことを受けここぞとばかりに増資に踏み切り、見事日本麦酒は製造量日本一を誇る企業へと躍り出たのです。また、恵比寿ガーデンプレイス(ガーデンプレイスは1994年10月に開業)にある恵比寿ビアガーデンは、1899年に「恵比寿ビールBeer Hall」として開業されました。日本初のビアガーデンは当時の愛飲家の人々に大いに受け入れられたちまち繁盛、これも企業の成長を後押ししたことは言うまでもありません。
さて、サッポロと言えばサッポロ生ビール黒ラベルですが、誕生は意外と最近の1977年だそう。「本当に美味しい生ビールを皆様のご家庭でも味わってもらいたい。」という理由の元、1977年に「サッポロびん生」を全国発売しました。ビアホールで飲むビールと同等の新鮮さを顧客に届けるべく日々改善を重ね、2006年には麦芽とホップの協同契約栽培100%化を実現し、2011年には「旨さ長持ち麦芽」が新採用されたことでより生ビールの旨さを実感することができるようになりました。何気なくお店で見かける商品でもひとつひとつが出来上がるまでには様々な試行錯誤があったことを再認識しながら飲めば、より美味しく頂けるのではないでしょうか。

心和むおもてなし

| 小ネタ! |

こんにちは。今朝の地震で怪我などなかったでしょうか。明け方であったため即行動を起こすのが大変難しい時間であったと思います。全ての人のご無事を願うばかりです。
さて、今回取り上げるのは株式会社銀座ルノアールです。都内であればいたるところで見かける、株式会社銀座ルノアールの取り扱うブランド・喫茶室ルノアールですが、意外なことに東京・埼玉・神奈川・熊本の一都三県でのみの店舗展開となっており、北関東出身の私も上京してから初めて目にしたものでした。色々な種類のコーヒーを味わえることはもちろん、落ち着いた空間でゆっくりと時間を過ごしたいとき、ちょっとした会議をもちたいとき、パソコンを使った作業が必要なときなどに使えるお店としてとても貴重な存在です。
株式会社銀座ルノアールは、昭和39年10月有限会社花見煎餅の喫茶部門独立のために有限会社花見商事を設立しました。時を隔てずして、日本橋に第一号店を開店します。その後、昭和45年5月有限会社花見企画(有限会社モンブラン珈琲販売)を設立し、続いて昭和46年2月に有限会社銀座ルノアールを設立、昭和54年5月に株式会社銀座ルノアールとなりました。喫茶室ルノアールをはじめとし、ミヤマ珈琲、Cafeルノアール、Newyorker’s Cafe、カフェ・ミヤマ、瑠之亜珈琲、マイー・スペースとそれぞれが特徴を持つブランドを展開しており、幅の広い顧客を日々満足させています。
喫茶室ルノアールのウェブサイトには、「平日は商談・休憩・お昼寝のために利用し、土日は読書のためにルノアールに立ち寄る。そんなルノアールが生活に欠かせないビジネスマンを応援いたします。ルノアールは喫茶店ではなくあくまで喫茶室ですので、コーヒーを飲みに行くのではなく、あくまで何かを行う、それが営業中のお昼寝であったとしても、場所・スペースを求めるあらゆるビジネスマンの味方です。」との言葉が掲載されています。インスタントに店に立ち寄り流行の飲み物を片手に街を颯爽と歩くのも大変結構だと思いますが、まとまった時間を使って何らかの活動を行うことを許される店としてのルノアールが常に一定の顧客満足度を得られているのは容易に頷けることではないでしょうか。

こんにちは。土日はいかがお過ごしでしたか?私は休日中、アニメーターのジョン・ラセターさんの一日を追うドキュメンタリー番組をたまたま見ておりました。広大な私有地に豪邸を構え、敷地内を鉄道が走っていたり、夥しい数のワインコレクションがあったり、当然のようにホームシアターがあったりと異次元の私生活を垣間みせられ正直萎えましたが、ラセター監督は、ピクサー・アニメーション・スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーであると同時に、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオでも同様の肩書で仕事をされているようで、さらにディズニーパーク等の企画を行っている会社の関係者でもあるようです。そこで今回は、日本でのディズニーパーク運営を担っている株式会社オリエンタルランドを取り上げたいと思います。
簡単に沿革を振り返ってみると、1974年2月京成電鉄三井不動産三井物産の三社連名でウォルト・ディズニー・プロダクションズ社首脳に来日を要請したところからオリエンタルランドの歴史が始まります。12月にはディズニーのテイタム会長、ウォーカー社長が来日し業務提携についての基本的合意がなされました。そして、1977年3月正式名称が「東京ディズニーランド」に決定され、1979年4月ディズニー社と業務提携についての最終契約締結に至りました。その後は、起工式、建設工事の開始、各種アトラクションの据え付け工事という風に着々と準備が進み、1983年3月竣工式が挙行され運営がついに開始されたのです。
東京ディズニーランドは、ランド、シー、いくつかのホテルなどで構成される複合施設で、最後に行ったのが小学校低学年という自分にとってはその発展ぶりを見るだけで結構楽しめます。列挙してみると、東京ディズニーランド、東京ディズニーシー、ディズニーアンバサダーホテル、東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ、東京ディズニーランドホテル、イクスピアリ、ボン・ヴォヤージュ、ディズニーリゾートライン、舞浜アンフィシアター、東京ディズニーリゾート・オフィシャルホテルなど初めて耳にするものもあるのですが、日本のディズニーランドでこの規模ということはカリフォルニアのディズニーランドは想像を絶する規模なのでしょう。例えばイクスピアリは2000年に開設された施設で、ショッピングモール、シネマコンプレックス、レストランなどが櫛比しているいわば一つの街のようなもので、ランドやシーで遊びつくした後にゆっくりと買い物を楽しみたい方にはなんとも嬉しい空間ではないでしょうか。特にこれからのクリスマスシーズンは街自体も趣を変えるようなので、普段と一味異なるプレミアム感を味わえること請け合いです。

シーズン到来

| 小ネタ! |

こんにちは。11月も終盤に差し掛かり年の瀬も間近ですが、毎年この時期になると高校・大学受験の頃を思い出さずにはいられません。自分の将来が明らかに左右される人生上の一大イベントなので、自分も不安と希望の入り混じる複雑な気持ちを抱えながら学校に通っていました。センター試験・個別試験を目前に控え猛勉強しているであろう学生を道で見かけると、ついつい頑張れと言いたくなってしまいます。ところで私は池袋に住んでいるのですが、家のすぐ横に早稲田アカデミーがあります。毎日多くの学生がせわしく通学しているのですが、今日ホームページを調べたところ、そこが早稲田アカデミーの本部だということを知り少し驚きました。おそらく分校だろう程度に思っていたので、受験予備校の一ブランドがこんなところにあったんだ・・と正直思いました。
早稲田アカデミーは「小学生・中学生・高校生を対象とする進学塾の経営等」を行う会社で、1975年7月東京都杉並区阿佐谷南にて小学生、中学生を対象とする学習サークルを始め、着実に事業規模を拡大してきました。具体的な数でいえば2016年9月の時点で、全国154校(早稲田アカデミー150校 野田学園2校 水戸アカデミー2校)の校舎を有しています。その後、1989年1月に本社を池袋に移転。「現役生難関大受験専門塾サクセス18」「難関中学受験専門塾WAC(ワック)」「教師力養成塾」など次々に新規事業を興し、「総合教育産業」における中心的存在としての地位を確立しています。
生徒一人一人の強み弱みに焦点を当てたきめ細やかな個別指導、ライバルと同じ教室で競い合いながら志望校を目指す集団授業、大学別のカリキュラムなど自分に最も適したオプションを利用し目標に向けて全力を注ぐことができるのはとても贅沢な経験だと私は思っています。自分自身、予備校に通う機会はなかったので、うらやましいなとも思います。大学にいくことが全てでは絶対にありませんが、ひたすら勉強に打ち込む経験をするのも一つ有意義な青春の過ごし方ではないでしょうか。早稲田アカデミーに通う受験生だけでなく受験を控えるすべての学生が苦難を乗り越えることを願って止みません。

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