「多様性が重要である」という話を良く耳にします。
近年だとSDGsの文脈で良く聞かれるようになりました。SDGsというと環境問題にフォーカスされがちな印象ですが、実はSDGsの理念は「誰一人取り残さない-No one will be left behind」で、その根幹を多様性が担っています。
さて、この多様性という単語、多くの人にとって耳触りが良くポジティブな印象の言葉でしょう。就職活動の際、多くの企業が「様々なバックグラウンドの人たちが強みを生かして活躍しています!」と多様性を売りにしていました。
しかし天邪鬼な私は、こういった多様性に少しの違和感を覚えていたのでした。ここで言う多様性とは、一定以上のコミュニケーション能力と頭の良さ、努力出来る素養や環境を持った人間が、プラスαとして獲得した強みとしての多様性です。多様性を扱う上で俎上に載せられていない人が多すぎやしないでしょうか。少なくともSDGsの「誰一人取り残さない」からは大きく外れています。
どうやら多様性には二つの側面がありそうです。一つには、連携によって集団に利益をもたらす強みとしての多様性。もう一つは、集団の足並みを乱す、解決するべき課題として捉えられる多様性です。後者は人種の違いや身体的・精神的障害のような分かりやすいものだけでなく、社会が規定するあるべき姿に合わせられず何となく居心地の悪い思いをしている人々にも当てはまる普遍的なものです。
両者を混同したまま多様な強みを持つ人材にフォーカスしすぎると、集団に否応なく存在する課題としての多様性を無視することにつながりかねないので、気を付けないといけません。
そんなことを考えていると株式会社LITALICOという企業が目に入りました。LITALICOは「障害のない社会をつくる」をビジョンに掲げ、障害者向け就労支援や発達障害を持つ子供に向けた学習支援サービス等の事業を展開しています。障害は個人に帰属するものではなく社会が生み出すという立場で、社会側を変えることによって障害をなくしていくことを目指しています。
確かに障害とは、集団が求める在り方に沿わないだけの「多様性」として捉えられます。集団に否応なく存在する人々の「多様性」を無視せずに直視し、一人ひとりの在り方に合わせて集団を少しずつ調整していく。こうやって初めて、SDGsが語る「誰一人取り残さない」に近づいていくのかもしれません。LITALICOが目指しているのは、「障害という概念」のない社会と言えそうです。
そんな立場に立つと、現在もてはやされているお金を稼ぐ, 社会の役に立つというような能力も、絶対的な正義ではなく現在の社会に適応しただけの多様性として捉えられることに気が付きます。傲慢にならないように、謙虚にいきたいものですね。