こんにちは!

934年の今日(承平4年12月21日)は、平安時代の歌人紀貫之が土佐守の任を終え帰洛の途に就いた日だそうです。
貫之はそこから約2か月もかけて京へと帰りましたが、その道中を日記風に書き記したものがあの『土佐日記』。
冒頭の「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」の文はあまりに有名ですよね。
あくまで日記「風」であって明らかに文学作品としての体をなしているそうですが、いずれにしても日本文学における最初の日記文学であることは間違いなさそうです。

さて、『土佐日記』成立の大前提として、作者が土佐国に国司として赴任していたことがあります。
当時、国司が執務していた施設を国衙と呼んでいました。その国衙が置かれた都市が国府であり、土佐の国府があった場所は現在の高知県南国市付近のようです。
国衙に関連すると思われる跡や遺物は見つかりましたが、国府中心部の様相や全体像は未だはっきりとはわからないんだそうです。

ちなみに高知県南国市に本社を置く企業にミロクがあります。

ではでは!

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