こんにちは。
最近じゃがいも料理に凝っていて、ニョッキやポテトサラダ、芋餅、
肉じゃが、粉吹きいも、といろいろな料理を作っています。
単にいただいたじゃがいもがたくさんあるということなのですが、
じゃがいも、美味しいだけじゃなくて、ビタミンCなど
栄養も豊富なんですよ。
じゃがいもの中で好きな種類は私は断然男爵いも!
ほくほくしておいしいこのじゃがいも、なんでこの名前になったのか
ご存知ですか?
やっぱり男爵(バロン)がからんでいるのでしょうか?
そう、男爵いもは、明治時代に川田龍吉(かわだ・りょうきち)男爵が
イギリスから持ち込んで日本に定着させた品種という説が強い
そうなんです。
そんな川田男爵はどんなひとだったのでしょうか。
1856年、土佐藩士川田小一郎(後の日本銀行総裁であり、男爵)、
妻・美津の長男として現在の高知県に生まれ、
慶應義塾医学所に入塾したものの一年も経たずに中退してしまい、その後
スコットランドに7年間留学し、船舶機械技術を学んだのだそうです。
帰国後は、三菱製鉄所や日本郵船を経て1893年に横浜船渠会社取締役となり、
1897年に社長に就任という輝かしいキャリアの持ち主です。
その後、50歳で転機が訪れます。
横浜船渠会社の社長を退任し、函館船渠会社専務取締役として北海道に
渡ることになるのです。そしてその2年後、欧米からアイリッシュ・コブラー
という品種の馬鈴薯を自営の農場に導入し普及に努めます。
この品種が後に男爵いもの名で知られるようになった、というわけなのです。
55歳で同社を退社後は、北海道の農業の近代化に余生をささげたそうです。
川田男爵は、男爵いもの父と言うだけでなく、北海道の農業近代化の
父、とも言えそうですね。
でも150年以上前に生まれた人が、高知で生まれ、スコットランドを
経由して東京、横浜で働き、北海道でその生を終える、ってなんだか
すっごいグローバル、とうらやましくなってしまいました。